PROFILE

 
 
1920年(大正9年)
・水泳倶楽部が水泳部として公認される
・合宿所は伊豆の3津浜だったらしい
1924年(大正13年)
・オリンピック
・パリ大会開催
1927年(昭和2年)
・合宿所移転
・6月16日水泳部合宿所地鎮祭(相州久里浜)
・プールは無く、海にて練習
・1930年(昭和5年)
・OB会が発足
1931年(昭和6年)
・競泳始動
・県立横浜第2中プールでインカレ優勝を期して合宿練習、しかし、インカレ不出場
・第1回日米対抗開催
1934年(昭和9年)
・第1回中大・国大・拓大の対抗戦に優勝(48点)
・第1回立命館対抗戦優勝(79対68)
1936年(昭和11年)
・戦前最後のオリンピックベルリン大会開催
・女子2百m平泳で前畑秀子選手優勝
・女子高飛込で大沢礼子選手4位入賞、大沢(西沢)選手は後の中大飛込コーチとなる
1939年(昭和14年)
・関東学生水球リーグ戦2位
・最終戦で府立高に1点差で敗れ2位
1940年(昭和15年)
・合宿途中で中止
・文部省から「今後1切の体育大会中止」の通達
1946年(昭和21年)
・水泳部再建なる
・現学芸大)、今日は豊山、明日は文理大(現教育大)の行き当たりばったりの練習
・得点1点で12位
1947年(昭和22年)
・水球三部から復帰
・プール獲得運動起こす
・全学生の署名
・募金運動や学校側への陳情
・OB会も復活
・「潮会」と称してOBの親睦、現役への援助開始
1948年(昭和23年)
・阿佐ヶ谷時代の幕開け
・水泳関係者抱いていた夢プール獲得、6月にプール開き
・インカレ、初めて関西で開催
・中大も勇躍参加したが全員決勝に残れず
・白門体育会発足
OB会の名称「白門水泳会」に
1950年(昭和25年)
・水球が3段跳び
・前年3部で優勝、2部に上がり優勝、1部へあがる
1952年(昭和27年)
・水泳部初の日本新記録
・関東学生で竹内充選手百m平泳で日本新1分8秒8
1953年(昭和28年)
・競泳念願のシード獲得
得点8点で3位
1956年(昭和31年)
・オリンピック選手第1号
・自由形野々下耕司選手(34年卒、当時2年)がオリンピックメルボルン大会に出場
・日大・中大対抗戦始まる
1957年(昭和32年)
・水球、全日本を制す
・インカレを制した水球はついに日本選手権も優勝する偉業を樹立
1958年(昭和33年)
・飛込インカレで3位
1960年(昭和35年)
・オリンピックローマ大会に3名出場
・開田幸一選手(36年卒、バタフライ)
・藤本達夫選手(37年卒、自由形)
・浅沼寛治選手(32年卒、水球BW)
・オリンピックで初のメダリスト誕生
・故開田幸一選手(36年卒)400mメドレーリレーで銅メダル、藤本達夫選手(37年卒)800メートルリレーで銀メダル獲得
1964年(昭和39年)
・オリンピック東京大会に5名出場
・飯田矩偉選手(35年卒、水球)
・藤本達夫選手(37年卒、自由形)
・横山 隆選手(38年卒、水球)
・大林 敦選手(40年卒、バタフライ)
・佐々木末昭選手(40年卒、自由形)
1965年(昭和40年)
・水泳教室開設
・小、中学生を対象に阿佐ヶ谷プールで水泳教室を始める
1969年(昭和44年)
・水球がリーグ戦初優勝
1970年(昭和45年)
・新合宿所が落成
・旧館を取り壊し新設することになり、9月13日に落成式
・水球が大活躍
・関東リーグ戦で2連勝、インカレも優勝
1972年(昭和47年)
・オリンピック
・ミュンヘン大会の水球2選手出場
・高橋敏夫(47年卒)
・橋本 博(48年卒)
1977年(昭和52年)
・多摩で初のプール開き
・競泳4年ぶりにシード校に復帰
1978年(昭和53年)
・塚崎修治選手(57年卒)世界選手権で400、800、1500の3種目で日本新記録連発
・泉真也選手(56年卒)全日本の100で日本新
1980年(昭和55年)
・競泳、インカレで初の2位を獲得以来、59年まで常に上位3校に食い込むが、あと1歩というところで優勝できず
1984年(昭和59年)
・オリンピックロスアンゼルス大会に2名出場
・伊東慎治選手(61年卒 個人メドレー)
・川和秀動選手(バタフライ)
・金子洋明選手(60年卒)インカレ1500m自由形で日本新。
1985年(昭和60年)
・競泳インカレでまさかのシード落ち
1986年(昭和61年)
・競泳インカレシード校に復帰(6位)
1988年(昭和63年)
・オリンピックソウル大会に佐藤幸男氏(OB 28年卒)が競泳日本選手団支援役員に選任される
・競泳インカレ2位、4年ぶりの上位校復帰 以来6年間、2位3位につけるがやはり優勝の壁は厚い
1989年(平成元年)
・浅原隆文選手(平成2年卒)、800m自由形で短水路日本新(1500mの途中計時)
1992年(平成4年)
・競泳インカレで最終800m継まで早稲田と同点首位に立つが、結果5点差で涙の2位
1993年(平成5年)
・松下幸広選手(平8年卒)日本室内選手権で100m自由形日本新
1994年(平成6年)
・遠藤牧夫選手(平7年卒)ワールドカップフランス戦で50m自由形短水路日本新
・松下幸広選手(平8年卒)日本選手権で100m自由形日本新
・第70回インカレ福岡大会にて、強豪日大と接戦の末、中大競泳史上初、悲願の総合優勝を果たす
1996年(平成8年)
・山野井智広(平成12卒)オリンピック選考会で50m自由形 短水路日本新
・アトランタ大会に2名出場
・伊藤俊介(平成11年卒、自由形)
・松下幸広(平8年卒、バタフライ)
・競泳インカレ3連覇
1997年(平成9年)
・山野井智広選手(平成12年卒)日本短水路選手権で50m自由形短水路日本新、日本選手権で同種目日本新
・田中雅美選手(平成13年卒)日本短水路選手権で100m、200m平泳短水路日本新
・競泳インカレ4連覇
1998年(平成10年)
・伊藤俊介選手(平成11年卒)世界選手権、インカレで100m自由形日本新
・源純夏選手(平成14年卒)日本短水路選手権、日本選手権、インカレで50m、100m自由形日本新連発
・田中雅美選手(平成13年卒)日本短水路選手権 日本選手権で100m、200m平泳日本新
・山野井智広選手(平成12年卒)日本選手権で50m自由形日本新
・競泳インカレ、400m継、800m継日本新、5連覇達成
・水球インカレ2位
2000年(平成12年)
・オリンピックシドニー大会に8名出場
・高橋雄介コーチ(昭和60年卒)
・竹村吉昭コーチ
・ウ チョル選手(平成13年卒、自由形)
・田中雅美選手(平成13年卒、平泳)
・源 純夏選手(平成14年卒、自由形)
・中村真衣選手(平成14年卒、背泳)
・谷口晋矢選手(平成15年卒、個人メドレー)
・礒田順子選手(平成15年卒、平泳)
・競泳インカレ7連覇
2001年(平成13年)
・50年ぶりの天覧試合で、競泳インカレ8連覇達成
・水泳部創部80周年
2002年(平成14年)
・パンパシフィック横浜大会に5名出場
・競泳インカレ9連覇達成
2003年(平成15年)
・世界水泳バルセロナ大会に4人出場
・細川大輔選手(平成17年卒、自由形)メドレーリレー3位
・競泳インカレ10連覇達成
2004年(平成16年)
・アテネオリンピック田中雅美選手(平成13年、平泳ぎ)200m4位入賞
・競泳インカレ史上初11連覇達成。
2005年(平成17年)
・世界水泳モントリオール大会細川大輔選手(平成17年卒、自由形)メドレーリレー3位
・ユニバーシアードトルコイズミール大会に4名出場
・山口雅文選手(現4年、背泳ぎ)100m背泳ぎ優勝
・山下誠選手(平成18年卒、平泳ぎ)100m平泳ぎ3位
・庄司有太選手(現4年)個人メドレー
・細川大輔選手(平成17年卒、自由形)
・競泳インカレ惜しくも12連覇ならず、総合2位
・東アジア大会マカオ、庄司有太選手(現4年、個人メドレー)200m個人メドレー優勝
2006年(平成18年)
・競泳インカレ総合2位(日大と総合得点は一緒。最終リレーの順位で規定上2位)

 

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